はじめまして!

 
私のプロフィールに興味を持っていただき、ありがとうございます。
日本おうちワーク協会 認定アドバイザーの櫻井俊幸と申します。
 
神奈川県伊勢原市在住で会社には所属せず在宅ワークを続けながらブログでの収入を得る生活をしています。

私がこの仕事をどうして選んだのか?について紹介していきます。

過保護な環境下で育つ

私の子供時代の少しだけお話します。

生まれは兵庫県西宮市ですが、幼少期に親の転勤のため神奈川県に来てからはずっと神奈川県で育ちました。

仕事に出かけ帰ってきては何もしない父親とその反面、人を疑うことをまったくしない純粋で過保護な母親、自由な弟と四人暮らしでした。

中・高校時代は剣道部、大学時代は軽音楽部と不満もなくいたって普通のありふれた平均的家庭で過ごします。
成績も平均値、あたりさわりのない自己主張しない性格でしたので、学生時代当時の友人たちからは絶対公務員になりそうと言われていました。
それぐらいどこにでもいるごくごく普通の典型的な日本人でした。

フリーター⇒取り憑かれたようにバイト⇒そして社畜へ…

 

 

私は就職氷河期世代で、就職をろくにしなかったために大学卒業後そのままフリーターになってしまう
典型的なダメダメ人生ルートに入り込んでいました。
いままで冒険しない人生を過ごしていたのでその反動が出てしまったののもあります。

さらにバンドがやりたかったため、世間知らずのままバンドマンを目指すという泥沼ルートを突き進みます。

今思いかえせばもっと会社のように事業計画をたててバンドをビジネスとしてやる意識が必要だったわけですが、そんな発想は1ミクロンも生まれず
絵に書いたような転落っぷりで、よくある(ホントに?)音楽性の違いでバンドは解散、1人ではどうにもならずそのままフリーターでコンビニバイトをして親元に寄生しながら毎日を過ごしていました。

 

 

 

当時コンビニの夜勤バイトで900円の時給でしたから、幸いバイト身分でも神奈川県のど田舎よりは遥かに時給が高ったんです。
会社内で勉強しながらお給料がもらえるという甘い言葉に誘われて、神奈川県から東京へ通勤して夜勤バイトをする生活に変わりました。
このときから神奈川県から東京へ通勤する日々が始まりました……

何社か仕事先がいれかわったのち、2年続けたWEB制作会社のバイト先で念願の正社員採用をもらい
めでたく社会の歯車となりました。

しかしサラリーマンの安定した生活と引き換えに片道通勤120分、毎日移動に約4時間かけていた泥沼生活へ落ちていきます。
最初のうちは通勤電車の中で勉強するから大丈夫!と意気込んでいたのですが
毎朝の座席の取り合い、密集した加齢臭のする空間で長時間揺られる電車酔との戦い、眠い中で新聞をめくる音にイライラするなど
次第にストレス過多となっていきます。

1年目はなんとかなりましたが、2年目以降は無気力状態になり生きている気がしませんでした。
その時期にとある人間関係から200万の借金を抱えてしまい一気に人間不信へ。
人を疑うことを知ります。
お給料をコツコツためて完済はしましたが借金期が気分的に一番つらかったです。

 

転機:自分の労働時間を切り売りする以外に稼げることを知る

その仕事先で新しく事業展開をすることになり、新しい部署に配属された私は
スマホ系のブログ記事更新という仕事を担当することになります。

当時はiPhone4をソフトバンクだけで扱っていて、次はドコモで出す?auで出す?とスマートフォンの黎明期から戦国時代へ突き進む真っ最中でした。
全世界的にスマホの注目度がお祭り状態の中、ブログ記事を更新するとアクセスが集まるわけです。

「特殊な機械も必要なく、会社と同じことが自宅でもできる?」

「これ自分こっそりやっても良いかも?」

「反応あるな。もしかしてイケる?」

 
 

 

従順な社畜会社員が邪な考えを持ち始めます。

 

 

 

仕事の向き合い方がチェンジ

 

この体験から、個人ブログを立ち上げ個人的な記事を書くことになります。
会社の命令でイヤイヤやっていたブログ更新だったのですが、自分の意思でやることを選択して自分の責任で行動を決めていく。
行動がお金になることが体感できました。

いままで言われるがまま仕事をやってきた自分にとっては、「自分でやることを決められる」という経験はとても楽しかったのです。
また当時はアドセンスの審査がゆるゆるだったので立ち上げたばかりの超零細ブログでもわずかながらお金が入ってきたのです。

「これは行けるかも。ダメならまた就職すればよい」

当時、人当たりが良い上に何でもこなせ、社長や上司の信頼度も抜群でプライベートで遊ぶと子供のような表情をみせる年下先輩がいました。
彼には絶対勝てない、この人を超えて会社での地位は得られないとわかりきっていた私は速攻で会社員をやめて個人事業主になり自分の仕事(WEB制作)+ブログの道を選ぶことになります。

まあ、早い話逃げました。良く言えば戦術的撤退です。

奇跡を経験:自宅でやればやるほど稼げた

 

今までの不運から読みがあたりすぐさま自活できるバラ色の生活がまっていました。
やればやるほどお金が入り、失業保険の申請をすることもなく不安視していた収入が安定します。
そして2ヶ月後には20万程度だった正社員時代の給与を超え、自分にご褒美を買えるぐらい人生の満足度が高まります。
お金に余裕ができた私は外にも遊びにでかけて数年ぶりの彼女もでき、人生が充実していきます

 

 

怠慢で生活が一変

 

 

しかし調子が良いのも長くは続きません。

ブログが稼げるというのが自分が知らないところで広まっていてライバルが個人から企業へ
私1人では数十人〜数百人の企業には勝てるわけがなく、ブログはアクセス数の低下の毎日。
自宅仕事に熱中しすぎたために腰はこわれ、長く1人で作業していたために人と会話する習慣がなくなり
ひきこもり状態になります。
さらに怠慢でサボりぐせがついた上にブログが作業化してしまったことで、元々の飽きっぽい性格が出てきてしまい更新作業をするモチベーションもなくなってしまいました。

立ち直るきっかけ

「このままではいかん」と自己流で戦っていた考えを改めててブログのセミナーへ行くことにします。

ブログセミナー内容を聞き、ブログセミナー参加者と話すことで稼いでいる人に出会い、稼げるやり方を知ることになります。
自分に有利な稼げる場所で戦うという三国志の孔明軍師のような指示の仕方は、暗い未来の雲を打ち破ってくれました。

ブログアフィリエイト、在宅ワーク開始

全盛期までとは行かないものの、新しいやり方・新しいコミュニティ・新しい仲間を得て再びブログ熱が再燃。
ブログアフィリエイトに手を出し、さらに在宅ワークも別途はじめました。
ブログアフィリエイトは半年ほどで月10万円の報酬が得られるほどになりました。

再びブログや在宅ワークで収入を得られるようになり、苦痛から解放され新しい形での仕事が再開。

ブログ戦国時代を超え、法人サイトばかりになり個人のブログだけでは戦えなくなってしまった2020年。
しかし色々な情報を得てそれらをブログに活かすことは可能です

順風満帆とはいきませんがブログを自分の収益に+αしたい!と検討しているなら、私があなたを助ける手助けができます。

 

・使えるお金が増えず、副業を新規にはじめてみたい
・もう満員電車乗りたくない
・上司が嫌いだけですぐには辞められないので新しいことをしてみたい

 

こういった悩みにはお役にたてるはずです。
お気軽にご連絡ください。

日本おうちワーク協会について

一般社団法人日本おうちワーク協会の認定講師です。

一般社団法人日本おうちワーク協会は家族のそばで「おうち」で働くという選択肢を広め、子育てや介護など制約のある人も自立し、イキイキと輝ける社会の発展に貢献します